R3.11.1 『街中に佇む祠を巡る~庶民の信仰と街の歴史を訪ねて』

【仏様あれこれ】

 

   神様では、稲荷大明神が多く、龍神様も北区には数多く祀られている。

  仏様では、圧倒的に地蔵菩薩(お地蔵さん)が多く祀られている。

 

 仏様には、順位がある

  ① 「如来」: 「釈迦如来」「阿弥陀如来」「大日如来」「薬師如来」など  仏様の中で最高位

  ② 「菩薩」: 「弥勒菩薩」「文殊菩薩」「観音菩薩」「地蔵菩薩」など       「如来」に次ぐ位の仏様

  ③ 「明王」: 「不動明王」「愛染明王」など   「如来」の教えに從がわない者を厳しく説き伏せ救済する。

  ④ 「天部」: 「帝釈天」「毘沙門天」「梵天」など 「○○天」と名のついた仏のほか、「金剛力士」や「鬼子母神」

                              のように「○○天」とはつかない仏も含まれる。

  

【地蔵菩薩とは】

  「お地蔵さん」と親しみをもって呼ばれているが、正しくは「地蔵菩薩」(「如来」の次の高い地位の仏様)

 地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ(命あるものすべてを救済するまでは菩薩界には戻ら

ない)。」との決意で「菩薩」の地位を退き、救われない衆生、親より先に死去した幼い子どもなどの霊を救いながら、六道

を自らの足で行脚し、旅を続けている慈悲深い菩薩様。

 

  ※ 六道とは、死後に生前の行いによって行先の決まる世界で、天道・人道・畜生道・修羅道・餓鬼道・地獄道からなる。

   六観音・六地獄・六道銭・六道の辻はこれに由来する。

 

   江戸時代には、「延命地蔵」「安産地蔵」「子育地蔵」「火除け地蔵」「刺抜き地蔵」など無数のご利益を求めて地蔵が

  民衆によって創出されるが、こうした身代わり的現生利益と共に、地蔵は来世救済の面も兼ねそなえ、日本人にとって最も

  親しみ深い菩薩として今日に至る。

黒丸大明神

 

昔、水道工事中に赤い玉が浮き上がってきたのを機にお祀りしたもの。

路地裏に移転する際に、近くで工事をしていた大工さんがお堂を建ててくれたもの。

北向き地蔵尊

 

 仏様は普通南向きでお祀りしているが、この地蔵

さんは全国的にも珍しい北向き配置のお地蔵さんで

す。

 梅田の紀伊国屋書店西側にある「北向き地蔵尊」

が良く知られており、他にも北区に何尊か祀られて

いる。

清龍明神・黒崎明神

  

清龍明神・黒崎明神」は白蛇様を祀っているお社。

その昔、この辺りには大きな木があり、そこに白蛇様が棲んでいたため祀られるようになった。

延命地蔵

 

 城東線(現JR環状線)が高架になる前、ここにあ

った踏切で子どもが亡くなったことから、「延命

地蔵」を建立し子どもの慰霊と人々の延命を祈願し

ている。

日限地蔵尊

 

  「日限地蔵(ひぎりじぞう)」は日本各地に存在し、

「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわ

れる地蔵菩薩。

「日切地蔵」と表記する例もあり。ここ北区末広町

の「日限地蔵尊」は地元の末広町と綿屋町の世話人

がお守りしている。

 大阪では中央区釣鐘町2丁目の「日限地蔵院」に

祀られている「日限地蔵尊」が有名で、聖徳太子時

代に「恵心僧都」が作製した大阪最古の「地蔵菩薩

像」と言われている。

 

※ 恵心僧都(えしんそうず)…平安中期の天台僧で本名は

  「源信」。比叡山横川(よかわ)の恵心院(えしんいん)

  住んだので恵心僧都ともいう。大和の当麻(たいま)の卜

  部(うらべ)氏の出身。仏教書の『往生要集』を著して

  念仏往生の教えを説いた。

夫婦橋地蔵尊

 

 阪神高速道路建設のため「九品寺」に一時保管

し、道路完成の前年に天四南振興町会がお堂を再

建、1988(昭和63)年8月に「夫婦橋地蔵尊」と

して祀る。

 古来、安産・子育ての仏様として信仰されてい

たが、お堂再建後は夫婦円満・良縁成就・家内安

全・交通安全のご利益を加えてお祀りされている。

錦地蔵尊(夫婦橋親柱)

 

 「錦地蔵尊」の名前は、かつてこの地が錦町だ

たことによる。

 夫婦橋は、旧天満堀川が天神橋筋と交差するとこ

ろにかけられており、その「夫婦橋」の親柱(おやば

しら)が向かって右側にある。

重正稲荷大明神

 

ビルの谷間の「重正稲荷大明神」の幟(のぼり)先に、ご神木の奥に鎮座している。稲荷大明神の「稲蒼魂尊(うかのみたまのみこと)の他に、諏訪御神・長者合槌尊・榊山御神・保鷹大屋彦尊が祀られている。

 

※ 稲蒼魂 (うかのみたま・宇迦御魂)

 

・・・食物、殊に稲をつかさどる神。

 沖向き地蔵尊

 

 行基上人(668749)は大阪に7つの墓「大坂七墓」を作

り、その内の一つが「葭原墓」でこの地にあった。その頃のこ

の付近は大阪湾の海岸近くで、葭が生い茂っていたためこの名

がついた。

  

 浄土宗開祖の法然(11331212)は行基の足跡を訪れ、

「葭原墓」を守るため「西の坊」というお寺を建立した。この

お寺には、地蔵尊・阿弥陀如来・勢至菩薩(阿弥陀如来に脇侍

(きょうじ)する菩薩)が祀られていた

 

 本来は地蔵菩薩が如来(向かって左)を従える配置はないが、

庶民の地蔵菩薩に対する篤い思いがお堂の中心にお地蔵さん

安置されたのでしょう。

 

※ 脇侍・・・阿弥陀如来に観音・勢至菩薩、

       釈迦如来に文殊・普賢菩薩、

       薬師如来に日光・月光菩薩など。

 

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案内人:北区ボランティアガイド ヤジ馬ヤジ北